さて、先日、2012年05月12日(土)から2日間に行われた千葉学習センターでの面接授業。
旧約聖書と古代ユダヤ教の面接授業に行ってきました。
上記の写真は、私が一番初めに聖書やキリスト教に興味を持った際に購入した本、
面白いほどよくわかる聖書の全て~天地創造からイエスの教え・復活の謎までです。
聖書関係の面接授業は楽しみにしていた授業です。
旧約聖書と古代ユダヤ教 面接授業1日目の感想を書いてみました。
私がなぜ聖書やキリスト教に興味があったかというと、
元々仏教などの考え方に興味があったのもありますが、、、
宗教と言うと、救いや愛、という言葉が当てはまるかと思えば、
宗教戦争やカルト宗教と、その宗教に対するイメージや印象が大きく振れるわけです。
そんな、宗教のふり幅や危うさにも興味がありました。
そして、私達の法律や文化など、社会の様々なシステムに関係している、
西洋文化のバックグラウンド、西欧人の根本文化に常に存在する宗教。
とりわけ、欧米社会の宗教として代表となるキリスト教という物に興味を持ったのがきっかけです。
また別の機会にブログでもご紹介したいと思いますが、
参考図書の一神教の誕生もとても興味深く、すらすらと読んでしまってハマってました。
今回、旧約聖書と古代ユダヤ教の面接授業を担当してくださったのは、
聖書学者で千葉大学文学部教授の加藤 隆(カトウ タカシ)先生。
加藤先生は背が高い先生でした!
w眼鏡を斜めがけにした、ユーモアあふれる先生。
ユーモアの中にも、学者としての客観的な考察を熱く感じることのできた先生でした。
旧約聖書と古代ユダヤ教の面接授業の一日目は下記の項目になります。
- ユダヤ教とキリスト教
- ユダヤ教の成立:「出エジプト」
- 「カナン定着」と王国の成立
- 多神教的傾向と本格的一神教の成立
プリントを何枚か配り、それを元に講義が進んでいきました。
感想を一言で言うと、これこれ、受けて良かった!という感想です。
仏教をわかるという人がとんでもないというのと同じように、
聖書をわかる、ユダヤ教やキリスト教が解るなんて、とんでもない!とか、
もちろんユダヤ教の歴史的背景や経過など、興味深い話が満載でした。
授業中、特に印象に残った一場面がありました。
きっと加藤先生が、私達をフックさせる為に言ったと勝手に思ってるのですが、、、
『救われていない状況があって、救われたいと人間は思う。
人間は救いの条件を知っていて、それを実現する。
それをやれば神が救ってくれる?
生活態度をきちんとしたり、お賽銭上げたり、修業したり etc 。
それやれば救われる?神は5円くれたら、比叡山3000回廻る修行されたら、
神はその人を救わなければならないのか?
神はただの救いの自動販売機か?
主導権を握っているのは人間。
つまり、神を尊敬しているような態度を示してるかもしれないけど、
結局のところ、人間か神に命令してる。
結局は人間が主人で、神は救う能力を持っている奴隷のように思っている。
これだけ条件整えたんだよ!
救えよ!
お前、救って当然だろ!
そうやって命令してる。違うということはおわかりですね。
人間が何かして、神が救わなきゃならない、そこに問題がある。
信仰を持つ、儀式をすればいい、それで救えよ!と?お偉いですよ。
社会や文化に効用がある場面も発生するが、神学的には意味のないこと。』
上記の太文字の部分の声の大きさが、明らかに大きかったです。
この一連の流れを、加藤先生の口から、ボリュームアップした声で言われた時はガツンと来ましたね。
(思い出して書いてるので多少違いがあるかもしれません。)
いずれにしても、宗教というもので、戦争になってしまったり、
身近なところでは、差別や偏見などが生まれてしまう要因になってしまうのも確かにある。
そうならない為にも、ただ自分たちだけの解釈になってはならない。
そんなようなメッセージもドカンと心に届いたような感じがしました。
こういう状態、錯覚、思い込みって、
実際私達の生活の場面でも、きっと多くあるのだと思います。
ちょっとユダヤ教の話が少なくなってしまいましたが、
ユダヤ教の発生や、その歴史的背景、ユダヤ教の概念など、多くのことを学びました。
なんだか、やっと念願の聖書関係の面接授業を受けることが出来た嬉しさのせいか、
お家に変えると、風邪をひいたらしく撃沈。熱が出て喉が痛くて大変。
しかし面接授業2日目を休むわけにはいかない!と、即就寝して身体を休めました。
以上が、旧約聖書と古代ユダヤ教 面接授業1日目の感想になります。
また追って2日目の感想を書きたいと思います!
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