震災から一年。南三陸町の友人とTwitter

震災から一年。南三陸町の友人とTwitter

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2011年3月11日、金曜日。午後2時46分。

東日本大震災が発生。

そして本日は、丁度震災から1年が経過した2012年3月11日。

今日の午後2時46分、僕は独り暮らしのアパートの中で、

炊飯器で炊いた米に、高菜の漬物を盛っただけの簡単な食事をしていました。

震災関係のテレビ番組を見ながら食事を摂っていましたが、

午後2時46分の黙祷の時間、自然と、手に持っていた箸を器の上に置き、黙祷を捧げました。


余りにも悲しみが大きすぎる災害、そして原発の被害・問題。

きっとこの震災がもたらした悲しみは、少なくとも、この時間を生きた私達にとっては忘れられない出来事になるでしょう。

今日で一周年となるわけですが、なんだか昨日のことのような感じです。

最近では、テレビなどで震災関係の報道や番組を見る機会の際には、

必ずと言っていいほど涙を流してしまう自分がいます。

もともと感傷的な方ではありますが、テレビで心が揺さぶられて涙を流すなんて、

震災以前の自分にはあまり無かったことです。

自分自身、まだまだ心がブルブル震えてるのかな?なんて思うこともあります。

実は、宮城県 本吉郡 南三陸町に友人がいます。

結論から言うと、友人本人は無事でした。

南三陸町の彼は家族を養うため、生活する為、数か月間おきに、

関東へ来ては仕事をし、また南三陸町の仮設住宅で過ごすという生活を送っているそうです。

現在では、南三陸町の友人や、一緒に探していた友人なども含め、

何度かご飯などを食べに行って交流をしています。

震災発生当時は、友人の安否がわからなくて、不安で泣きました。

当然、南三陸町に住んでいる彼に電話しても繋がらない。

それならばと、Twitterで安否情報確認開始。

Twitterで捜索してると、同じく共に友人だった仲間を見つけて電話での再開。

きっとあいつなら生きてるに違いないと、お互い励まし合い、無事を祈り、再度Twitterで捜索。

そして幸いにも、地元の友人という方からTwitterでご連絡を頂き、ほぼ確定の安否確認が出来ました。

この一連の流れで、ものの数十分。

南三陸町の友人とTwitter。

正直、すごいと思いました。

まさにインターネットは距離を越える。

想い同じ人間がアクセスしあえば、こんなにも情報の交換が出来るものなのかと、本当、鳥肌ものでした。

さて、この放送大学ライフ。

放送大学に関する皆さんの、ほんの小さな何か、情報や感想や、それはご覧になっている皆様それぞれ、

放送大学に関する、ほんの小さな何かを共有出来ればいいなという想いやっております。

Facebook、Twitter、mixiと手広く展開させて頂いております。

アクセス出来る場を増やしたいのです。

少しでも引っかかって、少しでも情報や想いを拾ってくれたら、それがいいじゃないかと思って。

震災に関しては、私個人、何も言うことがないというか、言葉がありません。

ただ、こんな悲しみは嫌だなというのはあります。

ですので、変な話ですが、自分自身の日常生活の周りにおいても、人を悲しませるよな芽は摘んでやりたいなという想いはあります。(笑)

その為にも、勉強したいなと思っていますし、そして毎日生きていきたいと思うし、人生楽しみたいなと思っています。

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